アニメ映画『カッパのクウと夏休み』

 皆さんは河童(カッパ)の存在を信じますか?私は信じています。キジムナー
(木霊)から人間のすがたに化ける術を教えてもらったクウは今も仲間さがしの
旅をつづけているからです。
 時は江戸時代、竜神沼の開拓が進められていました。クウの父親は役人と名
主に沼の開発をやめてくれるよう願い出ましたが、役人に切られ殺されてしまい
ました。その時大地震が起こりクウは地割れのさけ目に埋まってしまいました。
 時は現代、埼玉県のある地方都市、久留米川で小学生の康一は20cmくらい
の大きさの石ころに何度もつまずき、持ち帰って割ってみると中にはカエルのよ
うな生物の化石が。化石に水をかけると“クウ”としゃべるではありませんか。子
供のカッパが現代によみがえったのです。
クウの仲間さがしの旅がはじまりました。岩手県の遠野地方へも行ってみました。
(私も数年前に行ったことがありますが、カッパふちというふちは今は幅2mくらい
の小川に変わっていました)。土地の座敷童(ざしきわらし)に聞くと、もう100年く
らい見ていないと言います・・・・。落胆するクウ。映画の中でバックミュージックに
賢治の『星めぐりのうた』がながれていました。
やがてクウの存在が知られるようになり、大騒ぎに発展します。律儀なクウは「こ
んな騒ぎになって申しわけねえ」、「おれのせいだ」、「とうちゃん、おれどうしたらい
い?」、「もうくたびれたよ」、「おれとうちゃんのところへ行きたいよ。ここはまるで人
間の巣だ」。私も胸がいっぱいになりました。どうしたらいいんだろう、この現代にど
うしてクウを住まわせよう。ある日、クウあてに一通のハガキが届きました。「こっち
へこい。すぐにこい。にもつでおくてもらえ。」と書いてあります。それは沖縄のヤンバ
ルに住むキジムナーからでした。自然がいっぱいのヤンバルの地でクウは言います。
「康一おまえにもらった命だいじにするからな」「この土地の神様、おれが生きていく
だけの魚をこの川でとることをおゆるしください」。
 仲間さがしの旅はこころさがしの旅です。


14ひきのとんぼいけ

 いわむらかずおさんのネズミの家族シリーズです。
1いっくん、2にっくん、3さっちゃん、4よっくん、5ごうくん、6ろっくん、7な
っちゃん、8はっくん、9くんちゃん、10とっくん、おとうさん、おかあさん、
おじいさん、おばあさん。あわせて14ひき。こもれびがゆれるあついな
つ。とんぼいけへあそびにいきました。ニイニイゼミ、ハグロトンボ、オ
ニヤンマ、キイトトンボ、モノサシトンボ、オオルリボシヤンマ、ショウジ
ョウトンボ、イモリ、ゲンゴロウ、シオカラトンボ、トノサマガエル、ミズカ
マキリ、ノシメトンボ。ヒグラシがなきはじめたゆうやけのみち、アカトン
ボといっしょにかえろう。

おじいちゃんがおばけになったわけ

 エリックという男の子とおじいさんの話です。だいすきなおじいさんが死
んでしまいました。ママはおじいさんは天国へ行くのだといい、パパは土
になるんだといいます。そうしきの日の夜、エリックの部屋に死んでしまっ
たはずのおじいさんがあらわれました。おじいさんは何かこの世に忘れ物
があってあらわれるのですが、それが何かが思い出せません。おじいさん
の子供のころの思い出、おばあさんとの思い出、エリックのおとうさんの思
い出。いろいろ思いだすのですが忘れ物の何かではありません。エリック
との思い出。遊園地でジェットコースターにのったこと、サッカーをしたこと、
海で砂の城をつくったこと、つりにいったこと。おじいさんは何を忘れていた
のかやっと思い出すことができました。おじいさんはエリックにさよならをい
うのを忘れていたのです。そして言います、「いいかエリック。子供はぎょう
ぎよくしなくちゃならないが、しすぎることはないぞ。それからいつもでなく
てもいいから、じいじのこと、おもいだしてくれ。じいじも、おまえのこと忘れ
ないよ」。



にぐるまをひいて

 ニューイングランドはアメリカの北東部をさし、合衆国で最も古い地域で、
1620年最初にイギリスからピューリタン(清教徒)が入植し、1776年のアメ
リカ独立戦争の発祥の地です。この物語りは人々が今古きよき時代のアメ
リカとなつかしむ、その頃の入植者の自給自足の暮らしぶりです。
「ちいさいおうち」はマサチューセッツが舞台ですし、昨年なくなったターシャ・
テューダが移り住んだのはバーモントでした。この物語りの舞台はニューハ
ンプシャーで、いずれもニューイングランドです。アメリカ国民にとってニュー
イングランドはふるさとなのでしょう。
おとうさんは冬じゅう屋根板をきりだし、おかあさんはあまをリンネルにしあ
げ、むすこはしらかばからほうきをつくり、むすめはリンネルにししゅうをしま
す。みんなでローソクをつくります。3月はカエデから樹液をとり、カエデさと
うをつくります。4月ひつじの毛をかりとって、糸をつむぎ、編み物にします。
5月、ジャガイモやカブやキャベツを植えます。そして10月、とうさんは1年間
みんなでつくり、そだてたものをにぐるまにつめこんで町に売りにいきます。
とうさんは鉄のなべとむすめにししゅうばり、むすこにナイフ、みんなのため
にハッカキャンディーを買いました。


ヘンリー・ブラウンの誕生日

 みなさんの誕生日は何年、何月、何日ですか。1800年代のなかごろ、アメリカ
には400万人の奴隷がいました。奴隷は人間としてではなく、家畜や家具や荷馬
車と同じように道具や物としてあつかわれました。これは150年前に実際にアメリ
カであったことです。ヘンリー・ブラウンは自分の誕生日を知りません。奴隷に誕生
日なんてありません。物として買われてきて、買主の主人のもとで死ぬまで棒でた
たかれて働くのです。そんなヘンリーにもつかのまのしあわせな時がやってきて
結婚しこどもがうまれました。しかしそのしあわせな時は長くつづきませんでした。
ある日、妻とこどもが奴隷商人に売られていきました。家族は引きさかれたのです。
失意の日々、小枝をとびかい、大空にとびたつ鳥を見ていて、自由になりたいと思
ったのです。その方法は、木箱の中に荷物として自分を入れて奴隷制度のない州
へ送ってもらうことです。奴隷制度に反対する白人のスミス先生や組織の人たちが
協力してくれました。箱の荷物は船と汽車で運ばれ、目的地のフィラデルフィアに着
きました。「ヘンリーだいじょうぶか」「フィラデルフィアへようこそ」。あて名先のウィリ
アム・ジョンソンが箱をあけてくれました。
ヘンリーが自由になった日、1849年3月30日、その日がヘンリー・ブラウンの誕生日
です。