満月をまって

 いまから100年よりもっとまえ、ニューヨーク州のハドソンからそれほど遠く
ない、コロンビア郡の山間に、かごをつくって暮らしている人たちがいた。
父さんは毎日かごをつくった。そして満月の日にハドソンの町に歩いてかご
を売りにいく。馬も荷馬車もなく、満月の日は帰りがおそくなっても月明かり
で道が歩けるからです。ぼくは父さんのことをよく見ていたから、かごを作る
木のこと、トネリコ、オーク、ヒッコリー、カエデをしっている。木を切りたおし、
丸太をリボンのように細く、うすくはぎとることも。
ぼくは8さいになった。ハドソンという町ってどんなところだろう。町のことがし
りたくて、つれていってとたのむと父さんは「もっと大きくなったらな」という。
ぼくは9さいになって、木のリボンからかごをつくるてつだいも出来るようにな
った。「いっしょにきてもいいだろう」と、父さんがいった。
山をおりると道がたいらになり、果樹園がひらけ、石づくりの家がたくさんあっ
て大きな農場があった。町にはいると土の道が舗装した道路に変わった。金
物店にいろんな色の商品がたくさんならび、父さんはそこにかごをつみあげた。
食料品店で母さんにたのまれた小麦粉、ほしブドウ、豆やかんづめのトマトを
買った。ぼくは商品の色の洪水から目がはなせなかった。ハドソンはレンガと
商売のにおいがした。帰り道、広場を歩いていたとき男の人が大声でどなった。
「おんぼろかご、くそったれかご!山ザルがしってるのは、それだけだ」ぼくは
ふりかえった。どなった人がわらい、まわりにいた人たちもわらった。父さんは、
しらんふりしていろといった。いえにかえるまで、ぼくの心には、かげがつきま
とってはなれなかった。なにがあったか母さんにはなすと、母さんは言った。
「山の木はわたしたちのことをわかっている。」
ぼくは父さんのつくるかごをじまんできなくなった。かごはじまんできるものじゃ
なかったんだ。山ザルがつくるものなんだ。何週間かたって、ぼくは納屋のなか
にいた。たかくつみあげているかごをぼくはけとばした。「おんぼろかご、くそった
れかご」。やってきたビッグ・ジョーにぼくはきづかなかった。ビッグ・ジョーはばら
まかれたかごのなかにたっていた。ながいあいだだまったまま。
ビッグ・ジョーはかごをひろってもとのようにつみあげはじめた。「風は、おれたち
には、かごをつくることをおしえてくれたんだ」「風はみている」「だれを信用でき
るか、ちゃんとしっているんだ・・・・・・」それをきいたとたんぼくはハドソンの人た
ちのことはどうでもよくなった。ビッグ・ジョーやクーンズさんや父さんのようになり
たいとおもった。
ぼくは山にいって耳をすました。納屋にもどってきて耳をすました。木のリボンを
だきしめて耳をすました。かごの底の部分の太陽をつくって、あみはじめた。下に
くぐらせて、上にだして。くぐらせて、だして、くぐらせて、だして。
夜になって、「おいで」と風のよぶこえが聞こえた。夜につつまれた枝を、くらい枝
を、くぐって、でて、くぐって、でて。風がかごをあんでいた。
あさ、母さんがいった。「木が大きくなっていく」「木のリボンがのびていく。いつまで
たってもつかえるかごが、たくさんできるね。」

はっぱのおうち

 さちがにわであそんでいると、あめがおちてきました。ほっぺたに、はなのあたまに、て
に、あしに。でもさちはへいき、はっぱのやねのおうちをしっているから。はっぱのやねの
おうちにさいしょにやってきたのは かまきり。つぎに ひらひらもんんしろちょう。ごそごそ
こがねむし。てんとうむし。あり。「みーんな おなじうちの ひとみたい」。「あっ、あかるく
なった」「ほら、もうあめやんだよ。みんなほんとのおうちにかえろう。」

ちいさなつきがらす

 ワタリガラスはふつうに見るカラスよりひとまわり大きくて渡りをするカラスですが、つき
がらすというカラスはいません。このものがたりは小さなワタリガラスの話です。
 むれの卵からおくれてかえったちびがらすは、みたこともないほど小さくて、まわりのか
らすからいじめられたり、おどされたりした。みんなとあそびたくても「おまえはまだとべな
いだろ!」とあいてにしてもらえません。そのうちちびからすもすこしずつ、どんどん、とお
くまでとべるようになった。「そろそろなかまにいれてくれる?」「つきまでとんでいって、か
えってきたら、あそんでやるよ。」そのばん、ちびがらすはぎんいろにかがやく月をじっと
みつめていた。そしてとつぜんかれはとびたった。たかくたかくどこまでも。ちびがらすは
ほんもののがんばりやのたましいをもっていた。あくるあさ、ちびがらすはカシのきのそば
のいけがきに死んだようによこたわっていた。めをあけたちびがらすは「だめだった。」と
しずかにいった。「ほんきでつきまでとぶなんて、かんがえもしなかった。ゆるしてくれるか
い?」「おいでよ、あそぼう!」はれわたったあさのすんだそらへ、みんなはかれにつづい
た。

なつのあさ

 「なつのあさはしろい くさも みちも まだねむそう」 夏の朝はそんなふうに見
えて、そんなふうに感じられるものです。少年が丘に続く道を自転車で急いでいま
す。「いそげ いそげ まにあうかな」 少年が丘の上で待ったのは汽車です。
「だっだ、 しゅしゅ、だっだ、 しゅしゅ」 町も汽車になり、夢のなかも汽車の夢で
す。 「だっだ、 しゅしゅ、だっだ、 しゅしゅ」。

きみが いま

 すぎさってしまったら二度ともどらない子ども時間。男の子がマントをくびにつけて
スーパーマンになってかけています。木のぼりや水あそび、砂あそびに夢中です。
料理のお手伝い、サッカー、冒険に夢中です。さきのことなんて心配しない。あした
のために急ぐこともしない。今のまいにちのたくさんのことに夢中です。わたしが子
どもの時、やっぱりくびにマントをつけてかけていました。そして保育園児の姪っ子
が母親のいないとき、化粧台のまえで顔を白くし、口の周りを真っ赤にしていたこと
がありました。すぎさってしまったら二度ともどらない時間です。

コブタの気持ちもわかってよ

1. ママはいつも「はやくあるきなさい」という。ボクはもっと犬のことや花のことや
  まちのことをもっとゆっくり見ていたいのに・・・・・。ママはそんなにもいそがしい
  のかなー。人生のなかでこどもと過ごす時間はもっともっと短いのに。
2. いじめられたことをパパにはなしたらもっとつよくなれっていった。つよくなれるほ
  どつよかったらボクはいじめられていないよ・・・・・。あなたがお父さんだったらな
  んてこたえるだろう?まっすぐ向き合うことが一番大切なのに。
3. はやくかんがえるのはとくいじゃない。パパやママやせんせいにはわからないこ
  とってないんだろうか。大人はわかろうとしないで、わかったつもりですませている
  ことがなんとおおいことだろう。
4.  「きょう、さかあがりができたんだよ。」ママはいそがしくて聞いてくれない。きょう
  さかあがりができたのに・・・・・」「よかったね、がんばったね」ってほめてあげよう。
5.  たいせつなおもちゃをこわされてボクはおこった。「あなたのほうがおにいちゃん
  なんだから がまんしなさい」ってママはおこった。おこったきもちはボクのなかに
  とじこめられる。ボクはきもちをはきだせない。−ボクのなかでとじこめられたおこ
  ったきもちはどうなるのだろう?
6.  おおきなこえで泣きはじめたとたんに「泣くな」っておおきなこえでおこられた。か
  なしいきもちはボクのなかにとじこめられる。ボクはかなしみをはきだせない。−と
  じこめられたかなしいきもちはどうなるのだろう。
7.  じぶんのきもちをうまくはなせない。そして・・・・・おなかがいたい。
8.  またパパとママがけんかしている。ボクのせいかな。ボクはこわくてだまっている。
9.  ボクいいこになるよ。だからそんなにおこらないで。いいこになればおこらないよね
  ・・・・・。(?それでいいこになれるだろうか?いつかその感情が爆発しないだろうか
  ?)
10. つかれちゃう・・・・・。パパにもママにもおこられたらボクはどこにいけばいいの?