スモールさんの農場

 スモールさんはたくさんの家畜をかっています。8頭の乳牛、ブタが10頭、馬が2

頭、13羽のニワトリ、5羽のアヒル、2羽のしちめんちょう、そしてイヌが1ぴき。

スモールさんははやおきです。おきるとともに、はらをすかせたどうぶつたちにえさ

をやります。つぎに乳牛のちちしぼりをします。ちちしぼりがおわると、うしたちを牧

場にほうぼくします。

スモールさんはトラクターをもっています。春には牧草地をほりおこし、ならし、タネ

をまきます。夏になるとトラクターで牧草をかりとります。山のような牧草は家畜小

屋にはこんで、乳牛や馬の冬のえさとなります。秋になるとまえの畑でリンゴをし

ゅうかくします。スモールさんはどうろわきのちいさな店にとれたてのくだものや、

やさい、タマゴをならべて売ったりもします。ちいさな店のかんばんには「とれたて

やさい、くだものースモール農場」とかいています。リンゴ、とうもろこし、にんじん、

キャベツ、かぶ、インゲン、かぼちゃ、タマゴ、さくらんぼ・・・・・冬になるとスモール

さんは牧場のまわりの林でたきぎをつくります。たきぎは馬ゾリではこびます。

  箱の中のチリン

 チリンはヒマラヤの国ネパールで生まれた。ある日本人の援助を受けて日本の大学へ

留学しました。日本の大学での研究テーマは「比較文化論」や「日本の地域社会におけ

る寺院の役割について」などでした。

一般的にGDP(国内総生産)などで国の豊かさを比較します。チリンは貧しい国のネパ

ールで幼少から高校時代を過ごし、大学生活を経済的に豊かな先進国日本で過ごすと

いう特異な経験の持ち主です。絵本のタイトルは箱の中のチリン。「箱」と表現されてい

るのは何でしょうか。

チリンがネパールにいるころ、チリンにとって意識された箱は「貧困」や「迷信」、「不平

等」や「自由でないこと」でした。

先進国と呼ばれる国日本で大学生活と研究生活を送るようになったチリンですが、始め

のころは豊かで便利な都市での生活は天国を飛んでいるようにさえ思えたものです。豊

かな国での日常は自分の意志であるよりは、時計の針の指示によって動かされている

ようなものであり、夜はありすぎる“ネオンサイン”の光の中。チリンはこの都市社会にひ

そむ新しい「箱」の中の人になってしまいました。「ストレス」、「ひきこもり」、「依存症」、

「家族、親戚、近所づきあいがわづらわしいと思う心(無縁社会)」。それは“過剰便利”、

“過剰自由”、“低下した忍耐力”、“孤独感”という壁でできた「箱」でした。

母国にはたして自分の居場所はあるだろうか。不安にかられながらチリンは帰国しまし

た。祖国の発展のためチリンは多くの夢を見た。しかし現実はふるさとも変わっていた。

ある日外国の援助団体の歓迎会がもよおされ、ゲストとして出席したチリンはショックを

うけました。援助を受ける立場の人々の思い。「貧しいからこそ裕福な人に面倒をみて

もらえる」。「ものが不足しているから、豊かな人が与えてくれるのはあたりまえ」。という

考え方。その時チリンが思ったのは「自分で何も創造しようとしない甘い精神で育っていく、

子どもたちの未来に対する恐れ」でした。チリンは再び「箱」の中にいる気持ちになりまし

た。今度の箱は“争い”、“奪い合い”、“従属性”、“自己満足”という壁でできた「箱」でした。

  アハメドくんのいのちのリレー

 2005年9月、ヨルダン川西岸、パレスチナ自治区のジェニン難民キャンプで12

歳のパレスチナ人の少年がイスラエル兵に撃たれて死んだ。少年の名前はアハ

メド・ハティブ。アハメドの家から地中海まではわずか20km、少年の足でも1日で

帰ってこれる距離です。しかし海を見るためにはイスラエルを通らなければならず、

検問所には機関銃を構えた兵士が立っていた。アハメドは海を見たことがなかった

。難民キャンプの外の世界が見たい、広い世界へ飛び出していきたい。それがアハ

メドの夢だった。高度医療ができるイスラエルの病院へ運ばれて48時間が過ぎ、

アハメドは脳死と診断された。アハメドの父親イスマイルは主治医から臓器移植

の提案を受けた。主治医はさらに続けた。「提供する側が移植相手を選ぶことは

できません。国籍も、民族も、宗教も選べない」。イスマイルは悩んだ。難民キャンプ

で連絡を待つ奥さんに電話をかけた。家族、親族、地区の長老やイスラム教の指導

者とも話し合った。反対されることを覚悟して相談した抵抗組織の幹部さえ「われ

われは平和と平等を望んでいる。あなたの息子の臓器がユダヤ人の子どもに移植

されても、それは、われわれが好きで“テロリスト”になっているわけではないという

メッセージになる」。そう言ってイスマイルの背中を押してくれた。イスマイル父さんは

息子アハメドの臓器移植を決断した。このニュースは小さな記事ながら世界中に紹介

された。新聞の片すみの小さな記事を見てから5年目の2010年。鎌田 實さんの

パレスチナ、イスラエルをめぐる旅が始まりました。