ちいさいおうち

 20歳のころに出会った一番好きな絵本です。作者はバージニア・リ
ー・バートンで、作られたのは1940年頃です。絵本でこれだけのこと
が表現できるのかと驚いた一冊です。豊かな田舎の一日のめぐり、
季節のめぐり、そして年月のめぐり。文明の発達、都市の発達、近代
化・・・・・けっして物語りの世界ではなく私が子供の頃から現在まで
のアメリカや日本の姿です。ちいさいおうちは引っこしをしました。ひろ
いのはらのまんなかのおかのうえで“ああここがいい”といいました。


葉っぱのフレディ   −いのちの旅ー

 一枚のカエデの葉の物語です。10年くらい前につくられたもので、ア
メリカの哲学者レオ・パスカーリア博士が「いのち」について子どもたち
に書きました。ヒット曲「千の風になって」と同じ思想です。春に生まれ
た葉っぱのフレディは夏にはどんどん大きくなり、暑さから逃げ出して
きた人間に涼しい木かげをつくってやります。秋になり霜がきて葉っぱ
たちはみごとに紅葉しました。冬がきて友だちのダニエルは「引っこし
をする時がきた」と言います。「死ぬ」ということ。こわがるフレディにダ
ニエルは「世界は変化しつづけていて、変化することは自然なこと。死
ぬということも変わることの一つなのだ」と言いました。。初雪の朝フレ
ディは空中にしばらく舞って地面におりていきました。冬が終わり、春
が来て、雪はとけて水になり、フレディは水にまじり、土にとけこんで
木を育てる力になるのです。


森の絵本

 「世界を知りたいといって そしたら 孤独になりなさい 一人でいる
とき 世界は 最もにぎやかだ」。私が高校生の時、国語の教師がこ
の詩を紹介してくれました。ヨーロッパ人でその詩人が誰なのか聞き
もらしてしまいました。「森の絵本」と同じ世界です。時には声を限り
に主張しなければいけません。行動しなければいけません。同時に
豊かな沈黙と豊かな時間が必要です。
どこかでよぶ声がします。「いっしょにゆこう」、「きみのだいじなもの
をさがしにいこう」、「きみのたいせつなものをさがしにいこう」、「森へ
ゆこう」。森が息しているのはゆたかな沈黙です。森が生きているの
はゆたかな時間です。



ひゅるりとかぜがふくおかで

  ひゅるりとかぜがふくおかで すとんときからみがおちた。それをル
リボシカミキリがたべ、いけのさかながルリボシカミキリをたべ、カワセ
ミがさかなをたべ、ヘビがカワセミをたべ、イヌワシがヘビをたべ、さい
ごにおとこがイヌワシをかんしゃをささげてたべました。つぎのひおとこ
はさいしょのみのたねをうえた。それを山がながめていた。10年たって
、さわさわかぜがふくおかで、ぽとりときからみがおちた。
自然の共生の世界です。
福田さんの絵本には人をしあわせにするパワーがあるとマツザキ氏
は言っています。弧を認め、弧の自立を願い、弧と弧が生き抜くために
、つながって(関係しあって)いくのだと。



みんな だれかに

 おんなの子とおとこの子がウシとニワトリにえさをあたえます。ハチは花から
ミツをもらい、おれいに受粉をたすけます。リスは木の実をたべおれいにタネ
をうえます。トリはワニからたべものをもらい、おれいに歯のそうじをしてやり
ます。うみのなかではクマノミが、イソギンチャクにたべものをあたえ大きな
さかなからまもってもらいます。ブタのふんにはフンコロガシがたまごをうみつ
けます。おんなの子とおとこの子はウシとニワトリからミルクとたまごをもらいま
す。みんなだれかにたすけられ、みんなだれかをたすけている。



ラブ・ユー・フォーエバー

 おかあさんは生まれたばかりのあかちゃんをだっこしながらうたいま
す。あかちゃんは2さいになり、9さいになり、テイーンエージャーになり
、おとなになります。おかあさんはすっかりとしをとって、もううたうこと
ができなくなりました。むすこはおかあさんをだっこしてうたいました。
むすこはうまれたばかりのあかちゃんをだっこしてうたいます。
いのちのきずながつながっていくのは、こころやすらぎます。


ビロードのうさぎ

子どもべやはたくさんのおもちゃでいっぱいです。きかいじかけのおもちゃは
「じぶんこそほんものだ」ときれでできているビロードのうさぎをばかにしまし
た。それでウマのおもちゃにきいてみました。「“ほんもの”ってどういうこと?
」「ほんものというのはね、ながいあいだに子どものほんとうのともだちになっ
たおもちゃがなるものなのだ。おまえさんだってそうなるかもしれない。子ども
べやにはときどきまほうがおこるものなのだ。」といいました。
この家にはナナというおてつだいさんがいて“おかたづけ”ということをするの
でおもちゃたちからおそれられていました。
ぼうやはまいばんうさぎとねるようになりました。ぼうやはやさしくてふとんの
なかでふたりはいつまでもヒソヒソおしゃべりをしました。ぼうやがねると、うさ
ぎもぼうやのほほにくっついてたのしいゆめをみるのでした。
こんなこともありました。あるときうさぎがにわにおいてきぼりになり、夜になっ
てナナがさがしにきました。「まったくこのぼろうさぎときたら。これがないとぼう
やがねむれないだなんて。」「どこがいいんだろう、こんなきたないおもちゃの」
するとぼうやは「やめてよナナ!この子はおもちゃじゃないの ほんとうの うさ
ぎなの」そのばんうさぎはうれしくてねむれませんでした。「ぼく、ほんとうのうさ
ぎになったんだ!」
あるひぼうやが病気になりました。うさぎはぼうやのまくらもとで たのしいこと、
わくわくすること、花がさき、チョウチョのとぶにわにでて、木いちごのしげみのな
かであそぶ あのすばらしい日々のことを はなしつづけました。ながいときがす
ぎて ぼうやのねつがさがりました。ぼうやはせいようのためにうみべのいえで
くらすことになりました。おいしゃさんとナナのこえがきこえてきました。「へやは
ぜんぶ しょうどくしなさい。ぼうやがさわったほんやおもちゃは みんな やいて
しまいなさい」「この うさぎなんて どうしましょう」「こりゃあ バイキンのかたまり
だよ。すぐにでも やいてしまいなさい。ぼうやには あたらしいものを かってや
ればよろしい」
うさぎはふるえながらくびをのばしてあたりをみました。あしたになればじぶんは
もやされてしまうのです。「あんなにたのしかったのに・・・・」なみだがほほをつた
いじめんにおちました。するとふしぎなことがおこりました。なみだのおちたところ
から芽がでて、くきがのびていき、花がひらくと ようせいがあらわれたのです。
「ちいさなうさぎ わたしがだれだかわかりますか」「わたしは子どもべやのようせ
いです。あいされたおもちゃが 子どもと おわかれすることに なったとき わた
しがむかえにきて ほんとうの ものにしてあげるのです。」「さぁ いまこそ あな
たは ほんとうのものに なるのです」
秋がさり、 冬がさり、 春がきて・・・・きせつはめぐっていきました。
あるとき ぼうやは 森で こちらのほうを じっと みている ふしぎな野うさぎと
であったことが あります。エメラルド色の目をした 野うさぎです。
「どうしてかしら あの うさぎ。 そっくりだよ、なくしてしまった ぼくのあの ふる
いうさぎに・・・・・」